稽古 それぞれの意義
私は、生活すべてが稽古と考えています。
特に道場では、清掃・礼法・座禅・講話・基礎稽古・北辰一刀流「格」・直心影流「法定之型」・竹刀剣道・試斬稽古・奉納式・ひとり稽古などを行います。道場での稽古時間は半日以上あります。
他の武道よりかなり多いですが、本物を身につけるためには、これでも足りないぐらいです。
稽古紹介
清掃修行
北辰一刀流では、清掃を大切な修行と捉えています。
清掃をすることで、心が磨かれます。一斉に始め、一斉に終わることによって、協同の意識・和の精神が育まれます。
バケツの汚れた水を、植物に与えることによって、生き物へや自然への関心・崇敬する心が育ちます。また、大勢でやるので、自分はどの場所を担当すればいいか考えることによって、分担と責任の大切さ、気づかいの心が養われます。
さらに、どうすれば仲間より遅くならないで済ませることができるかを考えることで、段どりの大切さが身に着き、無駄を省く合理的視野が培われます。邪魔な物を移動して拭き、元に戻すとき、どう配置すれば安定するか、美しいかと考えることによって、整理整頓の習慣、美的感覚が磨かれます。
他人の剣道場を、トイレまでも我が家以上に綺麗にすることによって、差別の心がなくなり、平等・博愛の精神が生まれます。そして、真剣に取り組んだ後の喜びを得たとき、労働の尊さが分かり、無心・無我の尊い悟りが得られるのです。
因みに、北辰一刀流では、稽古前の準備運動を禁止しています。清掃が全身運動ですから必要がないのです。時間の節約にもなってます。
礼法
礼は、日本人の心のふるさとです。ところが、身近すぎて、正しい礼を知らないのが日本人です。
道場では、正しい礼の方法を知ることで、美しい心を育てます。それは、人間関係を滑らかにし、自分を生かす道に通じることになります。、正しい礼法を稽古することによって、心が自由になり、楽しい自分が発見できます。
座禅
座禅は、心をコントロールする最善の手段です。何もしない時間を、ゆっくりと味わうことによって、普段見えない、本当の自分を見ることができます。
そして、自分を理解し、安心した気持ちで、生活できるようになります。
北辰一刀流の稽古は、動く座禅と言われています。稽古の中で、本当の自分を見つけていきます。
講話
千葉周作は、事理一致を説きました。
「事」は技の習得で、「理」は知識の習得です。
当道場での講話は、私が多くの師範から直接聞いた話を、そのまま教え伝えています。そこにある真実は、私たちの生きる方向を知る道しるべとなり、修行への勇気を与えてくれます。
また、私の恩師の一人は「記録は記憶に勝る」と言いました。メモ帳と筆記用具は稽古時の必需品です。
基礎稽古
どの流派でも、初めに極意を教えています。つまり、基礎が極意であり、極意は基礎の中にあります。
基礎を、完璧に身に付けることで、高度な技術は、難なく手に入ります。
修行は、基礎稽古→基本稽古→応用稽古→活用→反省→向上→独立・・という段階を踏んで進みます。
北辰一刀流「格」
「格」とは、組太刀のことで、基本稽古になります。
太刀の理論は、世の中の道理につながるので、とても重要な内容が含まれており、初期の段階で全て覚えることになります。
そこには、自分が、どのような窮地に陥っても、切り抜けられる道が示されているので、とても面白く感じる稽古です。
直心影流「法定之型」
数ある剣術型中の最高峰といわれています。恩師 小川忠太郎先生が「法定は座禅の隣だ。」と言ったので、剣道界に知られました。
当道場へは、15世宗家 山田次郎吉→加藤完治→酒井章平→椎名市衛成胤へと伝わりました。努力呼吸と真歩という、二つの極意を使って、自分の芯練り上げます。
竹刀稽古
応用稽古のひとつが竹刀稽古です。千葉周作は、竹刀稽古の名人で、それまでにない独特の稽古法を編み出しました。それが門弟の能力を、最大限に発揮させたので、多くの達人が輩出しました。
その稽古法は剣術革命となり、今の剣道を生みました。大人から始めても、他の道場の半分の期間で上達する稽古法が北辰一刀流の特徴です。
試斬稽古
試斬も応用稽古のひとつです。刀は切れるようにできているので、切るのは誰にでも易しいことです。
しかし、切れないときがあります。なぜ切れないかを追求するのが、この稽古の面白さです。
さらに、日本刀には、不思議な力があります。人間を正しくする力です。その力を借り、心を美しくすることもこの稽古の目的です。
ひとり稽古
稽古の最高峰は、ひとり稽古です。
今まで、どのような達人も、一人稽古で極意をつかみました。宗家である私自身まだまだ未熟ですが、ひとり稽古のおかげで、剣境が開けています。
毎日、自分と向き合うこと、これがとても面白いことなのです。
奉納式
今までの稽古の成果を、神仏に見ていただく、北辰一刀流の儀式です。
段や位という、人から与えられる「人爵」を求めることは、他人と比較するという苦しみの始まりです。私たちは、天に認めてもらう「天爵」を望んで、神仏に型を奉納します。
身を清め、衣服を改め、全門弟が、その時その時、精一杯の心で奉納します。